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大阪地方裁判所 平成2年(ワ)2749号 判決 1991年12月10日

原告

アオイ興業株式会社

右代表者代表取締役

渋谷錬治郎

右訴訟代理人弁護士

田中茂

被告

あかうま指圧こと

馬詰一征

右訴訟代理人弁護士

竹岩憲爾

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、別紙物件目録二記載の建物部分(以下、本件建物という。)を明渡し、かつ、平成二年四月一日から右明渡済みまで一か月金二〇万円の割合による金員を支払え。

2  被告は、原告に対し、別紙物件目録一記載の建物一棟三戸のうち中央一戸の二階部分道路に面した壁面(以下、本件壁面という。)に取り付けられた縦1.5メートル、横4.5メートルの看板(以下、本件看板という。)に掲載している「あかうま指圧」の広告(以下、本件広告という。)を撤去せよ。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  本件建物の明渡及遅延損害金の請求について

(1) 原告は、昭和五九年四月一四日、被告に対し、本件建物を賃料一か月金八万円、使用目的店舗、期限昭和六二年三月末日の約定で賃貸した(以下、本件契約という。)。

原告と被告は、昭和六二年二月二二日、本件契約期間を平成二年三月末日まで延長した。

(2) 本件契約は一時使用を目的とする賃貸借契約である。

すなわち、

① 原告は、本件契約を締結した当時、本件建物を解体撤去して、自己の住居及び事務所を新築する計画を有しており、右計画を推進するため本件建物の北隣の一戸についても短期賃貸借を結び、同建物の明渡を受けた昭和六〇年初めには右建物を取り壊して通路としていた。したがって、本件契約についても右計画が具体化するまでの短期間に限って本件建物を賃貸する意思しかなかった。

② 本件契約締結の際に交わされた契約書(<書証番号略>〜以下、本件契約書という。)には、冒頭部分に「建物一時賃貸借契約書」と標記されているほか、特約事項として「本賃貸借は一時使用のためのものであることを双方了承し、和解調書を作成することを合意する。」との記載があり、また、不動文字で記載されている「但し、必要があれば、当事者合意の上、本件契約を更新できる。」との文章の上には削除を示す黒線が引かれている。

③ 原告代表者渋谷錬治郎(以下、訴外錬治郎という。)は、本件契約締結に際し、本件契約を一時使用を目的とするものとした理由として、被告に対し「本件建物はすでに老朽化しており、自分が使う場合には、建て替える必要がある。また、父がなくなり相続問題が発生しているので、長期的に貸せる状態ではない。」旨を説明し、被告もこれを納得していた。

④ 本件契約締結に先立つ昭和五九年四月五日、被告は、原告に対し、「賃貸期限三年間限り、延長なしの条件を担保する為和解調書作成の必要ある場合いつでも当念書添付の委任状により手続をなさることに異議はありません」と記載した念書を提出し、現に契約締結日には、原告と共に弁護士事務所へ赴き、右趣旨での即決和解の手続を依頼した。この時同行した他の賃貸希望者は、「一時使用」の法律上の意味を説明されて契約締結を辞退した。これに対し被告は、「一時使用」の意味を十分理解したうえで、和解調書の作成に同意した。なお、和解調書は、右弁護士が、即決和解は入居後でなければできないと言ったので、結局作成されなかった。

⑤ 本件契約締結から五か月が経過した昭和五九年九月二七日にも、火災に伴う修理代金の負担を決めた念書の中で、被告は「今後は当方と貴殿との賃貸借契約が三か年を限度とする短期賃貸借契約であることでもあり、無断改修工事は致しません」と明記している。

⑥ 昭和六二年二月二二日、原告は、被告から懇請されて本件契約の期間を三年間延長した。その際作成した契約書の冒頭部分には「短期賃貸借の期間についての特約」と標記されているほか、本文には「期間は平成二年三月末日までとし、再延長の申出はしない」旨が明記されている。

⑦ 訴外錬治郎は、本件契約締結の際、被告が本件建物を改装することを「一時使用であるから三年間で減価償却できる範囲内の費用で行う」ことを条件にこれを認めた。

(3)① 仮に、本件契約が一時使用を目的とするものではなく、平成二年三月末日に法定更新されたとしても、原告は、本件明渡訴訟を提起することにより、本件契約の解約を申し入れた。

② 原告は、以下のとおり本件建物を自己使用する必要があるので、右解約申入れには正当な事由がある。

訴外錬治郎の父亡渋谷喜太郎(昭和四九年三月一八日死亡)は、本件建物を含む多数の不動産を所有していた。

平成三年七月一七日、右渋谷喜太郎及び同人の妻亡渋谷於石(昭和五一年一〇月二七日死亡)の遺産につき、相続人及び包括受遺者渋谷治代(訴外錬治郎の娘)間で遺産分割協議の調停が成立した。右遺産分割の結果、訴外錬治郎は、同人及びその家族がこれまで居住していた本件建物付近の建物を兄弟に明渡し、平成三年八月一四日から川西市で仮住まいをしながら、本件建物の二階を原告の出張所渋谷不動産鑑定事務所として使用している。しかし、二階部分のみでは手狭であり、また、ガス、水道設備がなく、便所に行くのも不便であるので、早急に本件建物を自己使用する必要がある。

また、右分割の結果、本件建物を含む別紙物件目録一記載の建物及びその敷地が訴外錬治郎及び同人の長女治代の所有となり、ようやくこれを取り壊して住居及び事務所を新築する計画を具体化できる条件が整った。

(4) 原告は、被告が本件契約の終了に基づく原状回復義務を履行しないことにより月額金二〇万円の損害を蒙っている。

(5) よって、原告は、被告に対し、本件契約の終了に基づき、本件建物の明渡及び平成二年四月一日から右明渡済みまで一か月金二〇万円の割合による遅延損害金の支払を求める。

2  本件広告の撤去及び遅延損害金の請求について

(1) 原告と被告は、昭和五九年四月一四日、被告が本件壁面に設置された本件看板に本件広告を掲載しその対価として年額金三万円を支払う、期間は一年とする旨の契約を締結した(以下、本件広告契約という。)。

右契約には、原告が、被告に対し、期間満了の一週間前までに終了を申し出ない限り更新される旨の特約があった。

(2) 原告は、被告に対し、平成元年一一月三日に到達した書面で、本件広告契約を終了させる旨の意思表示をした。

(3) よって、原告は、被告に対し、本件広告契約の終了に基づき、本件看板の撤去及び平成二年四月一三日から右撤去済みまで一か年金三万円の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1について

(1) (1)のうち、本件契約の対象範囲が本件建物に限られるとの事実は否認し、その余の事実は認める。

本件契約の対象は、別紙図面の台所(別紙図面赤斜線部分)を含む範囲である。

(2) (2)のうち、本件契約が一時使用を目的とするものであるとの事実は否認する。

① ①の事実は知らない。

② ②の事実は認める。

③ ③の事実は否認する。

④ ④のうち、被告が、昭和五九年四月五日、原告が主張する記載がある念書を提出した事実及び結局和解調書が作成されなかった事実は認め、その余の事実は否認する。

⑤ ⑤の事実は認める。

⑥ ⑥のうち、期間を延長した際に作成された契約書に原告が主張する記載がある事実は認め、右期間延長が被告の懇請によりなされたとの事実は否認する。

⑦ ⑦の事実は否認する。

(3)① (3)①の事実は認める。

② 同②の事実は知らない。自己使用の必要があるとの主張は争う。

(4) (4)の事実は否認する。

2  請求原因2について

(1) (1)のうち、本件広告契約が締結された事実は認めるが、右契約の期間が一年であった事実及び原告主張の特約があったとの事実は否認する。

(2) (2)の事実は認める。

三  被告の主張

1  本件契約が一時使用を目的とする賃貸借契約であるとの主張に対して

(1)① 被告は、昭和五八年末ころ鍼灸治療院を開業することを思い立ち、その営業場所の紹介を仲介業者である東栄開発株式会社(以下、訴外東栄という。)に依頼していた。しかるところ、訴外東栄から本件建物の紹介があったので、昭和五九年一月一三日、訴外東栄の事務所で、訴外錬治郎と会い、同人に対し、賃貸借の目的が鍼灸治療院の開設にあること、そのために本件建物を改造すること、そのための費用は被告が負担することを説明し、訴外錬治郎の了解を得た。

② さらに、被告は、訴外東栄の吉田から賃貸借期間は三年として、更新できるとの説明を受けた。

③ なお、本件契約書中に記載された特約条項(請求原因1(2)②記載)及び念書(同④記載)に基づく和解調書は結局作成されなかった。これは、訴外錬治郎に連れられて弁護士事務所を訪れた被告が、弁護士から本件契約の目的を尋ねられた際、右目的が鍼灸治療院の開設にあることを説明したので、弁護士が明渡の即決和解調書の作成を拒んだためである。

(2) 本件契約の当初家賃は月額金八万円で、毎年一〇パーセントの値上げ(期間は二年毎)約束されていた。しかも、保証金は金一〇〇万円と高額であり、明渡時の控除率も五〇パーセントと高率であった。このように、本件契約内容は通常の賃貸借契約と何ら異なるところはなく、それ自体から一時使用を窺わせるものはない。

(3) 本件契約が締結された際の本件建物の状況は、床がコンクリート張りであり、とても診療所として使用できる状態ではなかった。そのため、被告は、コンクリートの土間に基礎を設けて板張りの床を張り、その上に畳を敷き、玄関を設けてアルミサッシの窓を取り付け、待合室と診療室の二部屋を作った。そのうえ、各部屋の壁は土壁の状態であったので、全面に板張りしてその上にクロスを張り、天井も同様にクロス張りにした。このように、本件建物の改造は、建物自体を根本的作り換えるほど大幅なものであった(改造費の総額は金一六二万三三五〇円にものぼった。)。訴外錬治郎は毎日のように本件建物を訪れ右改造の状況をつぶさに見聞していたが、それに対し異議を申し入れた事実は一切ない。なぜなら、訴外錬治郎は、被告が本件建物を賃借する目的が、そこで長期に渡り鍼灸治療院を営業することにあることを十分認識していたからである。

(4) 原告及びその代表者である訴外錬治郎は、本件契約締結時点及び更新時点のいずれにおいても、本件建物の具体的利用計画は持っておらず、したがって、本件契約を一時使用の賃貸借とするだけの必要性に欠けていた。

(5) 本件契約は、訴外錬治郎からの打診を受けて、昭和六二年三月に更新された。被告は、この時も、訴外錬治郎の要求に応じて敷金一〇〇万円を差し入れた。また、当初約定の値上げ幅があまりに高率であったので、減額を申入れ、交渉の結果毎年五パーセントの二年毎改定となった。

このように、本件契約は通常の契約と同様に更新されており、ここにも一時使用の賃貸借であることを窺わせる事情はない。

2  解約申入れに正当事由があるとの主張に対して

原告は、主張する自己使用の必要性は、いずれも極めて漠然としたもので切実さにかける。

これに対し、被告は、宣伝活動等を活発に行い、誠実に治療に努めた結果、ようやく平成元年には四〇五名もの患者を抱え(その大部分は淡路地区等の地元の人である。)るまでになり、本件建物で営業を継続する基盤を確立した。現時点で本件建物を明渡することは、同所での営業を唯一の生活の糧としている被告の生活手段を奪うことになることを考えれば、原告の解約申入れに正当事由がないことは明らかである。

3  本件広告契約が終了したとの主張に対して

(1) 本件広告契約は、本件契約と同一の日付で、被告が本件建物で営業する鍼灸治療の宣伝広告のために締結されたものであり、しかも、本件壁面は本件建物の一階屋根部分に直結するものであり本件建物とは場所的にも隣接している。右本件広告契約の目的及び掲載場所からすると、原、被告間では、本件契約が存続する限り本件広告契約は終了しないとの黙示の合意があったものというべきである。

(2) 仮に黙示の合意が認められないとしても

(1)で述べた事情に加えて、被告が本件広告を撤去することは、被告の営業の本拠地における宣伝活動を出来無くし、被告の営業に多大な損害を与える。被告の蒙る右損害は、原告が右広告を撤去し、本件看板を新たに第三者に賃貸し、あるいは自己使用することによって得られる利益(被告は賃料である年三万円の支払を拒絶する意思はない。)を大幅に上回るものであるから、原告の撤去請求は権利の濫用である。

四  被告の主張に対する認否

1  被告の主張1について

(1)① (1)①のうち、訴外錬治郎が訴外東栄の事務所で被告と会い、被告から賃借の意思表示があった事実は認め、その余の事実は知らない。

② 同②の事実は知らない。

③ 同③のうち、和解調書が作成されなかった事実は認め、その余の事実は否認する。

(2) (2)のうち、当初家賃が月額金八万円であった事実、毎年一〇パーセントの値上げが約束されていた事実、保証金が金一〇〇万円であった事実及び明渡時の控除率が五〇パーセントであった事実は認める。しかし、保証金及び控除率が高いとの主張は争う。右金額は本件建物の位置からすると妥当なものである。

(3) (3)のうち、本件建物の床がコンクリート張りであった事実、このため、被告が基礎を設けて板張りの床を張り、その上に畳を敷き、玄関を設けてアルミサッシの窓を取り付け、待合室と診療室の二部屋を作った事実は認め、右改造費の総額が金一六二万三三五〇円であった事実は知らず、その余の事実は否認する。

(4) (4)の事実は否認する。

(5) (5)のうち、更新の際被告が金一〇〇万円を差し入れた事実、値上げ幅が年五パーセントになった事実は認め、その余の事実は否認する。

2  被告の主張2の事実は否認する。

3  被告の主張3(1)及び(2)の事実は否認する。

第三  証拠<省略>

理由

第一本件建物の明渡及び遅延損害金の請求に対する判断

一原、被告間で、昭和五九年四月一四日、本件契約が締結された事実及び右契約が同六二年二月二二日に更新され期限が平成三年三月末日まで延長された事実は、賃貸借の対象範囲が本件建物に限定されるか否かの点を除いて当事者間に争いがない。

なお、右賃貸借の範囲について考えるに、成立に争いがない<書証番号略>によると、本件契約書には、賃貸借の範囲につき「木造弐階建一棟三戸の中央の内一戸」と記載されたのみであり、被告が主張する台所部分を除くとの記載はないことが認められる。しかし、<書証番号略>、原告代表者及び被告各本人尋問の結果によると、被告は賃貸借の当初から右台所部分に立ち入ったことはなく、右部分はもっぱら訴外錬治郎の物置として利用されていたことが認められることからすると、当事者間の認識として、右台所部分は賃貸借の範囲から除かれていたことが窺えるのであるから、本件契約の範囲は本件建物に限定されていたものと認めるのが相当である。

二そこで、本件契約が一時使用を目的とするものであるか否かにつき判断する。

借家法八条に定める一時使用を目的とした建物の賃貸借とは、その期間が比較的短期間と定められており、かつ、その賃貸借の目的、動機、その他諸般の事情から、該賃貸借を短期間に限り存続させる趣旨のものであることが、客観的に判断されるような賃貸借をさすものと解せられる。このことからすると、該賃貸借が一時使用を目的としたものであると認められるためには、当事者が該賃貸借を短期間に限って存続させる旨の合意が立証されただけでは足りず、該契約が締結された客観的な事情から、同契約を一時使用のためのものである(すなわち、借家法の関係規定の適用を排除するだけの合理性のあること)と評価してよいことを基礎づける具体的事実が立証されることが必要と解すべきである。なぜなら、賃貸借契約を記載した契約書等に一時使用の文言が使われ、賃借人がその賃貸借を一時使用のものとすることに合意したとの事実さえあれば、当該賃貸借はすべて借家法の適用のない一時使用のものであると解するとすると、借家法に反する賃借人不利な合意をすべて無効として借家人の保護を図ろうとした同法の趣旨に反することになるし、また、賃貸人は、賃借人の同意を取り付けて、契約書等に一時使用の文言を用いることにより、容易に同法の潜脱を図ることができるからである。

右観点から本件につき考える。

1  原、被告間に本件契約を短期間に限って存続させる旨の合意が成立したか否かにつき検討する。

本件契約書には、冒頭部分に「建物一時賃貸借契約書」と標記されているほか、特約事項として「本賃貸借は一時使用のためのものであることを双方了承し、和解調書を作成することを合意する。」との記載があり、また、不動文字で記載されている「但し、必要があれば、当事者合意の上、本件契約を更新できる。」との文章の上には削除を示す黒線が引かれている事実、本件契約に先立つ昭和六〇年四月五日、被告が原告に対し「賃貸期限三年限り、延長なしの条件を担保する為和解調書作成の必要がある場合いつでも当念書添付の委任状により手続をなさることに異議はありません」と記載した念書を提出している事実、本件契約締結から五か月が経過した昭和五九年九月二七日被告が原告に提出した念書にも「今後当方と貴殿との賃貸借契約が三か年を限度とする短期賃貸借であることでもあり、無断改修工事はいたしません」と明記されている事実、昭和六二年二月二二日付けで更新の際に作成された契約書の冒頭部分には「短期賃貸借の期間についての特約」と標記されているほか、本文には「期間は平成二年三月末日までとし、再延長の申出はしない」旨が記載されている事実、以上の事実は当事者間に争いがない。

右事実と被告本人尋問の結果により、被告が、右契約書及び念書等を作成するにつき、原告に対し異議を述べなかったと認められること、さらに、原告代表者本人尋問の結果(第一回)によれば、訴外錬治郎は、将来相続問題が解決した後には、本件建物を取り壊し事務所を建築する計画を有しており、本件契約を仲介した訴外東栄にもその旨を伝えていたこと、更新は被告の申し出によりなされ、延長期間も被告の希望により三年となったことが認められることを併せ考えれば、即決和解の調書が結局のところ作成されなかった事実(右事実は当事者間に争いがない。なお、右調書が作成されなかった経緯についての原告代表者及び被告本人の各供述は、いずれも不自然な点が存在するので、右経過を認定することは困難である。)を考慮しても、なお、原、被告間では本件契約を短期間に限って存続させる旨の合意が成立したと認めるのが相当である。

2  次に、本件契約が締結された客観的な事情からこれを一時使用のためのものであると評価してよいことを基礎付ける具体的事実が認められるか否かにつき検討する。

(1) 本件契約締結の際の原告側の事情

訴外錬治郎が、将来相続問題が解決した後には、本件建物を取り壊し事務所を建築計画を有していたことは先に認定した通りである。しかし、原告代表者本人尋問の結果(第一、二回)によると、本件契約が締結された昭和五九年四月当時は、本件建物の元の所有者であった訴外錬治郎の父及び母の相続問題を巡って訴外錬治郎と他の相続人との間で民事訴訟が継続中(当時はこの事件は最高裁判所に上告中であり、本件契約の更新後である昭和六二年一〇月に確定した。)であり、この問題が最終的に決着し、本件建物が訴外錬治郎とその娘の共有となったのは平成三年七月一七日のことであることが認められること、右所有関係が明確になった現在においても、訴外錬治郎は、本件建物の具体的利用計画につき「潰して当面は駐車場にするつもりですが、遺産分割で私は川西市に転居することになりましたので、いずれはここに建物を建てたいです。」と供述する程度であり原告による事務所の建築計画が具体化しているとは認められないこと、さらに、別紙物件目録一記載の建物のうちの本件建物の隣部分は、訴外田中某が賃借中であり現在に至るも明渡の目処がたっていないこと等からすると、本件契約の締結時及びその更新時において、客観的に、原告が早期に被告から本件建物の明渡を受ける必要性があったとまでは認められない。

(2) 本件契約締結の際の被告側事情

<書証番号略>、及び被告本人尋問の結果によると以下の事実が認められる。

① 被告は、昭和五八年ころ、独立して鍼灸治療院を開設することを決意し、同年末ころから開業場所を捜していた。本件建物を紹介されたのは訴外東栄からであり、昭和五九年一月一三日には、その事務所で訴外錬治郎に会い、同人に対し、本件建物を賃借する目的が鍼灸治療院の開設にあること、そのためには当時コンクリート張りの土間であった本件建物を大幅に改装する必要があるので、被告の費用でこれを行うことを説明し、同人の了解を得た(なお、原告は、被告が本件を改装することを「一時使用であるから三年で減価償却できる範囲内の費用で行う」ことを条件にこれを認めた旨を主張し、原告本人尋問の結果中にはこれに沿う供述があるが、右供述は被告本人尋問の結果及び<書証番号略>の記載に照らして措信できない。)。

② 被告は、本件契約締結後、直ちに、当時はとても診療所として使用できる状態になかった本件建物をほぼ現在と近い形に改装した(その具体的内容は被告がその主張1(3)で述べるとおりである。)。そして、右改装費用として金一六二万三三五〇円を費やしたほか、昭和五九年中に、鍼灸治療院を営業するために調度品、治療器具等の購入及び広告代等に金一五〇万円を超える設備投資を行った。

なお、訴外錬治郎は、改装工事の現場を訪れることにより、右改装工事の規模及び概略の内容を認識していた。

右事実からすると、本件契約の締結に際し、被告の側に本件契約を短期間に限定してもよいとする事情があったとは認められず、かえって、本件建物を大幅に改造して治療院にふさわしいものとし、宣伝活動を活発に行うことにより顧客の獲得に努めたこと等からすると、被告の行動は、客観的には長期の賃貸借を予定した者のそれと認めるのが相当である。

(3) 本件契約の内容について

本件契約の当初家賃が月額金八万円であり、毎年一〇パーセントの値上げが約束されていた事実、保証金が金一〇〇万円であり、明渡時の控除率が五〇パーセントであった事実、被告が更新の際新たに金一〇〇万円を差し入れた事実及び値上げ幅が年五パーセントになった事実、以上の事実は当事者間にあらそいがなく、右約定が借家法の適用のある賃貸借と特に異なるものであると認めるに足りる証拠はない。

右事実からすると、本件契約の各約定及び更新時の取り決めが、それ自体で本件契約が借家法の適用を排除するだけの合理性をもった特別な契約であると認めるのは困難である。

(4)  (1)ないし(3)の各事実からすると、本件契約が一時使用のためのものであると評価してよいことを基礎づける具体的事実があったと認めるに足りず、かえって、右各事実は、本件契約が借家法の適用のある賃貸借であることを示しているといってもよい。

3  したがって、本件契約が一時使用を目的とするとするものであるとの原告の主張は失当である。

三次に、原告の解約申入れに正当事由があるか否かにつき判断する。

訴外錬治郎が、本件建物の利用につき当面は駐車場として利用し、将来はこれを取り壊して事務所を建築する予定であること、しかし、右事務所建築の計画が具体化しているわけではないことはいずれも先に述べたとおりである。

他方、<書証番号略>、被告本人尋問の結果によると、被告が本件建物を利用して営んでいる鍼灸治療業は、順調に発展し、平成元年度の患者数は四〇〇名を超えること、被告は右治療業で生計をたてており、他に同様な条件の店舗を捜すことは容易ではないことが認められる。

右各事実を比較検討すると、先に二1で認定した事情を考慮に入れても、なお、原告の解約申入れに正当事由があるとは認め難い。

したがって、この点に関する原告の主張もまた失当である。

四してみると、本件建物の明渡及び遅延損害金の支払を求める原告の請求は、その余の点につき判断するまでもなく理由がないものというべきである。

第二本件看板の撤去及び遅延損害金の請求に対する判断

一1  本件契約が締結された期間の点を除いて当事者間に争いがなく、<書証番号略>によれば、右契約の期間は一年であり、同契約には、原告が被告に対し期間満了一週間前までに終了を申し出ない限り更新される旨の特約が付されていたことが認められる。

2  請求原因2(2)の事実は当事者間に争いがない。

二そこで、被告の主張3につき判断する。

<書証番号略>及び弁論の全趣旨によると、本件広告契約は、本件契約と同一の日付で、被告が本件建物で営業する鍼灸治療の宣伝のために締結されたものであること、本件壁面は、本件建物の一階屋根部分に直結する位置にあること、本件建物には、本件広告とは別に被告の治療行為の効果を記載した広告看板が取り付けられ、また、本件建物の前には立体広告が置かれているとはいえ、本件広告はその形状及び位置からみて被告の営業を宣伝するために欠くべからざるものであるといってよいことが認められる。右事実からすると、原、被告間に被告が主張するような黙示の合意があったとまでは認められないとしても、本件広告契約は、被告が本件建物で鍼灸治療院の営業を続ける限り存続するものであると期待して右契約を締結したことは明らかであり、原告もまたこれを当然の前提としていたと認められる(<書証番号略>の記載内容からみてもこのことが窺える。)ことからすると、被告の右期待は法的に尊重されてしかるべきものというべきである。

そして、原告に本件建物の明渡請求が認容されない現時点であえて本件広告の撤去のみを求める特段の事情が認められない(なお、原告本人尋問の結果<第一回>中には、被告以外の広告掲載料は月額金二万円から金二万五〇〇〇円であると供述する部分があるが、これを裏付ける証拠はない。また、仮に右供述が真実であるとしても、これは本件広告契約の掲載料を値上げすることにより解決すべき事柄である。)本件においては、原告の本件広告の撤去を求める請求は権利の濫用となるものというべきである。

三してみると、本件広告の撤去及び遅延損害金の支払を求める原告の請求もまたその余の点につき判断するまでもなく理由がないものというべきである。

第三結論

以上によると、原告の本訴請求はいずれも理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官野々上友之)

別紙物件目録

一 大阪市東淀川区東淡路四丁目二九七番地一

(ただし、住居表示は同四丁目一五番四号)

家屋番号 二九七番三

木造瓦葺二階建 一棟三戸割

床面積 一階 108.92平方メートル

二階 88.29平方メートル

二 右一の一棟三戸のうち中央一戸の一階のうち、別紙図面イ、ロ、ハ、ニ、ホ、ヘ、ト、チ、イの各点を順次直線で結んだ建物部分

実測面積 41.89平方メートル

別紙図面<省略>

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